しろはたの本田透さんが『喪男の哲学史』の中でサイクリック宇宙論について何度も言及していたが、この部分だけは間違っているんじゃないかな?
サイクリック宇宙論とは「宇宙は膨張と収縮を繰り返していて、現在は50回目の宇宙だ」とする仮説で、正式に認められているものではない。
俺も昔「宇宙はビッグバンで膨張し、やがて収縮に向かう。そして極限まで小さくなったら又ビッグバンが起こり宇宙はその周期を無限に繰り返してきたのではないか?」と言うアイディアをひらめき、「これ当たってたら俺ノーベル賞取れちゃうよ。ウヒョー!」と思って自説を補強する為に図書館とかで調べてみたんだけど、どうもこの説は間違ってるみたいなんだよね。
そもそもこの「宇宙が膨張と収縮を繰り返している」とする説は大昔からあり「振動宇宙論」と呼ばれている。
アインシュタインが相対性理論を発表した後にロシアのアレクサンドル・フリードマンが既に「膨張と収縮を繰り返す」宇宙モデルを発表している。
そのフリードマンの教え子だったジョージ・ガモフがフリードマンの宇宙モデルからヒントを得てビッグバン理論を考案した。
だからこの説はビッグバン理論より古いし、矛盾もしない。
「宇宙が破壊と再生のサイクルを無限に繰り返している」という説は輪廻転生のようで仏教徒やヒンドゥー教徒にとってはとても魅力的に写る。
しかしこのビッグバンのサイクルを無限に繰り返すというのは物理的に不可能であるらしい。宇宙は膨張・収縮する度に必ず前の宇宙より大きくなってしまう。それを無限に繰り返すと宇宙はどんどん巨大化してやがて膨張しっぱなしになってしまう」・・・
そもそも、宇宙は「収縮しない」---。
以前は宇宙が開いているのか、閉じているのか、あるいは平坦なのかが分からなかったが、最近の観測によると宇宙は「開いている」。膨張し続ける宇宙モデルが合っているらしい。
宇宙が自重によって収縮に転じるにはダークマターを含めても宇宙全体の質量が足りなすぎるし、重力は時間が経つほど軽くなるのだから、今現在収縮していないのなら、将来も収縮する見込みはない。
しかも現在の宇宙は加速膨張している。宇宙が収縮に向かうなら膨張速度は段々ゆっくりになる筈だ。だが実際は加速度を増している。
やはり宇宙は永遠に膨張し続ける。その間に全ての物質は原子崩壊して宇宙は完全な「無」になる。
何もない空間だけが超加速度的に膨張し続けている・・・それが宇宙の未来の姿なのではないか?
「サイクリック宇宙」試論は超ひも理論から編み出されたようだが、超ひも理論が元になってる宇宙論はインチキくさいのが多いね!
超ひも理論は検証不可能であるから、デタラメ言ってても批判し辛い。
「宇宙の隣にはもう一つ宇宙があって、お互いが近づいたり離れたりする度にビッグバンとビッグクランチが繰り返される」なんて説まで「月刊ニュートン」に掲載されてたな。
もう滅茶苦茶。完全にファンタジーだよ。電波系の人のトンデモ理論とあんまり変わんねーじゃんwww
きっと超ひも理論は複雑過ぎて、小さな間違いがバタフライ効果を起こしてトンデモない勘違いに発展しちゃうんだろうな。
あまりにも現実離れした説を鵜呑みにするのは、危険な事だと俺は思ふ。
テレビや漫画が子供の発達に悪影響を与えていると悪い面のみがやたら喧伝されているけど、実際は逆でテレビや漫画をまったく見ない子の方が精神的に危ないんだってさ。
適度に漫画を読み、くだらないバラエティー番組とかも人並みに見てる子は能天気に育つんだけど、テレビを一切見ず、漫画の代わりに小説だけを読むような子は自己否定的で自殺願望の強い子が多いそうだ。
テレビや漫画を子供に見せない厳格な家庭で育ったから自己否定的になるのか、それとも漫画ではなく小説ばかり読んでるせいで自殺願望が強くなるのかは定かではないが、現代っ子はもはや「毒」を含むメディア無しには生きられない。
「毒」だらけの生活に適応してしまった現代人は「毒」のない生活には戻れない。
それはあたかもコミック版「風の谷のナウシカ」で腐海が吐き出す有毒の瘴気に適応した人類が、世界が浄化されて腐海が晴れた後の「青き清浄の地」では生きていけないのと同じ構造だ。
宮崎駿はひょっとしてジャンク・フード漬けの現代人に警鐘を鳴らしていたのかな・・・つかそれがテーマ?
空手家の角田信朗さんは子供の頃は虚弱体質でイジメられっ子だったんだけど、梶原一騎さんが描いた漫画「空手バカ一代」と出会って人生の全てが変わったそうだ。
大山倍達に憧れ、漫画の中で大山倍達が試みた、いかにも誇張された漫画チックな修行法を実際に試し、毎日続けている内にあれよあれよという間に周りから角田少年をいじめる者はいなくなり、いつの間にか格闘家になっていたとテレビで本人が語っていた。
漫画は軽く見られがちだけど、このようにとてつもなく大きな影響力を秘めている。
角田さんも言っていたが、ある一定の世代より下の人間はすべからく漫画から「道徳」を学んで育ってきた。
子供の頃から勧善懲悪の王道少年漫画を読んでいると、読者は作品の中で描かれている正義のヒーローである主人公に自己同一化し、主人公の行動を真似ようとする。つまり「正義の心」を持とうとし、その結果として道徳が身に付いていく訳だ。
「正義」を真似しようとしているだけだから、それは偽善なのだろうか?偽善であっても、偽悪よりかはよっぽどましだ。
漫画は人を善にも悪にも導ける強い影響力がある。
真に優れた作品に触れると読者の創作意欲も刺激される。
私の場合、自分がハマっている漫画の裏設定をあれこれと推測し、「この設定なら、今後こんな展開になるんじゃないの?」と予想して、それを「実演」するつもりで同人小説を書いたりします。
自分で創作してみて気が付いたのだが、自分のオリジナルだと思っていたアイディアが、実は昔読んだ作品を知らずにパクってただけだった、と言うパターンが多いですね。
本人がいくら独創的だと思っていようとも、実は忘れてるだけで他の作品のネタを「思い出してる」だけなんだ。
このGANTZ最終回ネタは後で気付いたが「電影少女」の影響受けまくってるね。最後の一文は「BEFREE!」から引用してる。
花右京メイド隊の話はフェンリル魔獣説を伝えてくて書いたんだけど、今思うと「GS美神・極楽大作戦!!」のフェンリル狼編のイメージに引き摺られてる・・・あとナウシカw
まぁ何つーか世の中に完全なオリジナルなんて存在しないんですよ!
ベタなパターンの組み合わせだけで映画だって小説だって作れる。
「創作は模倣から始まる」とも言いますし、世の中にある全ての作品は何がしかのパロディーであると言えるのではないでしょうか。
時間をかけて準備すればオリジナリティーのある作品を作れるだろうが、素人が手軽に創作するには設定やキャラを流用できるパロディーをやるのが手っ取り早い。
虚構と真実。フィクションとノンフィクションには一体どんな因果関係があるんでしょうかね?
イメージが現実を変えるのか、それとも現実が妄想を生み出すのか・・・「卵が先か、鶏が先か」の問いと同じで答えを出すのは難しい。
人間が夜中に見る「夢」は現実の「影」のような存在。実際に体験した出来事を下に作られた映像であり、現実世界がなければ夢の中の世界もまた存在し得ない。
それでも俺は妄想の、虚構の世界が持つ力を信じる。
実際にメディアは日本人の行動を変化させている。虚構の世界には「力」があるのだ・
精神科医の斉藤環が「漫画やゲームなどの仮想現実は現実の代わりには成り得ない」と言っていた。
引き篭もりの患者とかは一日中ネットゲームばかりやっていたるする訳ですが、脱ヒキした人に引き篭もっていた間の事を聞いても「何も憶えていない」と答えるそうです。
二次元で体験した事は結局は記憶に残らない。仮想現実では人間は成長しない。
アニメやゲームのクリエイターも、現実より虚構の世界を重視するオタクを増やすのが良い事だと思ってはいないでしょう。それなのに自分が食って行く為にオタクを増やさざるを得ない事にジレンマを感じている人も多い筈。
経済学者の森永卓郎までもが「弱者はオタクになれ」と主張しているのは、オタクは「大人買い」と称して食玩を箱ごと買ったりして経済活動に貢献してくれる、経営者側にとって都合の良い「カモ」だからなのでは?
オタク産業に関わっている人が[オタクになれ」と言うのはビジネスで言っているのだからそれに乗せられちゃ駄目です。
人間の想像力は侮りがたい、「100年後の未来」を予想する新聞社の企画では、理論上不可能な物意外はすべて実現した。
月まで届くロケットやインターネットだって小説の世界にはずっと前からあった。人間が想像できる程度の物は大抵は実現可能だ。
何事も、まずイメージありき。ガイナックスの傑作OVA「トップをねらえ!」でシナリオを担当した岡田斗司夫さんは、最初にあの感動的な最終話を考え出して、ラストに繋げる為に逆算してストーリーを作ったそうです。
この手法は他にも応用できるでしょう、最初に理想を思い描き、逆算していって現実に近づける方法を模索する。
所詮、人間社会はイマジネーションの産物に過ぎない、それゆえに人々がイメージをちょっぴり変えるだけでも社会は変わる。世界中の人が赤信号を青だと思えば、それは青なのだ。
現段階では建前として「人間は平等だ」等の理想があるだけだが、建前でも存在するだけ希望がある、建前すらない社会は理想から最も遠い暗黒な社会だ。イメージを持ち続ければ、世界は変えられる。
かつてジョン・レノンがそうした様に、「国境も、差別も、宗教すらなく、人々が何人にも捉われる事無く、幸せに暮らしている・・・」
そんな世界をイマジン(想像)してみないか?
チャールズ・チャップリンは「一人殺せば殺人者で、百万人殺せば英雄だ! 殺人は数によって神聖化させられる」という名言を残しているが、真の英雄とは大量殺人なんかではなく人の命を救ってこそそう呼ばれる資格を得る。
「それいけ!アンパンマン」の作者であるやなせたかし氏は兵隊として戦地に行った時、何よりも耐え難かったのは飢える事、飢餓だったそうで、正義の味方なら飢えた人間を救えなくてはならないといった観点から、お腹を空かしている人に自分の頭を食べさせて助けるヒーロー、アンパンマンが生まれたそうだ。
自己を犠牲にしても困っている人を助けるがヒーローの条件だ。
そういえば手塚治虫の「ジャングル大帝」でも最終回でレオは自分の肉を食べさせて寒さと空腹で死にかけていたヒゲおやじを救ったっけ。
人間でも「英雄的指導者」と称えられる様な人は数多くの飢えた貧困層を救っているはずだ。反対に何百万人もの無辜の民を餓死させる様な人物は、どんなに戦に強くとも英雄とは呼べません。
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