我が国は非核三原則も持ち「反核」の立場にいるが、日本はアメリカの核の傘によって守られている。これは核兵器の有効性を認めているも同然である。
そんな日本が「核廃絶」を訴えても説得力がないわけだ。
北朝鮮が核武装したけれども、あれを脅威だなんて思っている人が本当にいるのだろうか?
北は日本なんて眼中にないよ。北の核は明らかに米中露への牽制が狙い。
北朝鮮は核を持たなければ永遠に中露の属国のままだった。この点、日本が核武装しなければ米国から独立できない構図と似ている。
南北朝鮮が統一されたら、朝鮮は核を持つ分 日本以上の強大国になるだろう。
日本も本当なら中国が核武装した時点で核を持つべきだったんだ。
フランスのドゴールなどは「日本の核保有を歓迎する」とまで言っていた。
まだ貧しかった頃なら核保有しても失う物は少なかった。豊かになった今では核保有はデメリットが多すぎる・・・
インドが核武装したのは隣に中国がいるからで、純粋に自衛が目的である。
インドの核武装は中国包囲網を形成する上で日本にも利点がある。核武装の全てが「悪」ではない。
隣国が核兵器を保有していて、実際にその脅威に晒されている国には核武装する権利がある。これは自衛権の問題だ。
核を持っているだけなら誰も死なない。ただし使用するのは絶対的に禁止されるべき。
核攻撃はジェノサイドである。決して許される行為ではない。
核兵器の使用を肯定する奴は人間じゃない。原爆投下を反省していないアメ公は人でなしだ!
核保有国が増えなければ、既に核を持っている国の軍事的優位が永続化される。反核運動は核保有国に利する行為なのだ。
核の保有ではなく「使用」を禁止するように方針転換すれば、困るのは核保有国だけである。
核の使用が許されるのは「核攻撃に対する報復」の場合のみ!それ以外の核攻撃は人道に対する罪であり、これを戦争犯罪として禁止する国際条約を制定するよう日本は行動すべきである。
殺傷能力の低い地雷の使用は禁止されているのに、なぜ大量破壊兵器である核爆弾の使用は認められているのか?このねじれは解消されねばならない。
核を持つ国より核を持たない国の方が多い。核攻撃を禁止する条約を日本が制定すれば、我が国の世界での地位は高まるだろう。それは核保有よりもずっと良い影響をもたらす。
外交の力で核兵器を無力化できるんだ。
アメリカの政府高官による原爆投下肯定発言に文句一つ言えない情けない自民党政権には、そんな大それた事はできないだろうけどw
「日本は欧米相手に互角に戦った」みたいに言ってる人もいるけどさぁ、日本が戦ったのは植民地の駐留軍であって、ヨーロッパ本国の正規軍と戦ったわけじゃない。
第二次世界大戦の主戦場はヨーロッパ戦線で、アメリカは対ドイツ戦の片手間に日本と戦っていたに過ぎない。
アメリカは「ドイツが勝てば日本も勝つ。ドイツが負ければ日本も負ける」と考えていた。日本はドイツのおまけみたいな扱いだったのです。
ドイツがV2ロケットを飛ばし、アメリカが原爆を開発している時に日本は風船爆弾を作っていた。風船でアメリカに勝てるわけがないでしょう。
アメリカ:ドイツ:日本の戦力比は控えめに見積もっても10:5:1くらいだろう。
日本はずっと格下の相手とだけ戦ってきた。
「鎧袖一触で勝てる」と踏んでいた中国にすら苦戦するような国が、ドイツも恐れたアメリカに喧嘩を売ったのは大陸での戦争が長引いて予算を減らされると恐れた海軍の暴走によるものだった。
戦略的に考えれば、日本は南進するのではなく同盟国ドイツと戦っているソ連に攻め込むべきだったんだ。
陸軍と海軍が予算目当てにそれぞれ別の戦争を始めていたのだからもうメチャクチャ。場当たり的に戦線を拡大してグダグダに終わっただけ。戦略性0w
旧日本軍は「御国のため」などとおためごかしを言いつつ、私利私欲に走って国を滅ぼした。
「愛国心」などと言ってる奴が一番国益を損ねているという実例だな。
先の大戦の反省点を学ぶのに、光文社ペーパーバックスの『太平洋に消えた勝機』と日下公人『人間はなぜ戦争をやめられないのか』が参考になる。
『太平洋に消えた勝機』の内容は衝撃的だ。
「陸軍悪玉史観」が間違いで、実は日米開戦には海軍の意向が強く働いていたと書かれてあるのだが、これ程重要な「あの戦争」に関する真実が今まで国民に知らされずにいたという事にショックを受けた。
日本は無謀な戦争で国を滅ぼしているのに、その原因が究明されないまま今日まで来ているなんて驚きだ。
失敗を教訓として問題点を改めなければまた国を滅ぼす結果に繋がる。
国民があの戦争について知らされていないのは、「戦争の原因」となった支配体制が戦前から続いているままだからではないのか?
『太平洋に消えた勝機』によると軍部が暴走したのは陸海軍の「省益確保」の為だった。
戦争が終わると予算を減らされてしまうから陸軍は中国での戦線を広げ、海軍は海軍予算を増やす為に戦艦が活躍できるアメリカ相手の戦争を望んだ。
軍隊の「官僚組織」としての性質が戦争を引き起こしたと言える。軍人の「役人根性」が国を滅ぼしたのだ。
軍は機密費を使って右翼を雇い、政治家を暗殺したりもしていたから次第に誰も軍部を批判できなくなった。
共産スパイの影響も見逃せない。日本はレッドパージをしなかったので官僚の中には多数の社会主義勢力が潜んでいた。
彼らは戦争の総動員体制を悪用して日本を官僚主導のファシズム社会主義国家に変貌させ、その時できた社会主義体制は今も続いている。
日独伊三国同盟がきっかけで日米開戦は不可避となってしまったが、日本が「欧州戦線はドイツが勝つ」と読み誤ってドイツと同盟を結んでしまったのは、ドイツの全体主義体制に憧れ、「バスに乗り遅れるな」と煽った社会主義勢力によってミスリードされたからであろう。
ソ連のスjパイは日本軍が北進してソ連を攻めるのを断念させ、南進政策を取らせた。
それによってスターリンはドイツとの戦争に専念でき、枢軸国側の敗北に繋がる。
役人と軍需産業の癒着もあった。戦艦大和の建造なんて公共事業のようなモノだ。
軍需産業を儲けさせる為に戦艦を作って、一度も使わないまま敗戦したら示しが付かないから大和は特攻させられた。
天皇の責任も大きい。
「皇軍は天皇直属の組織である」という意識によって文民統制が効かなくなった。
天皇なら軍部の暴走を止められたかも知れないのに天皇は何もしなかった。全ては天皇の名の下に行われていたのだから当然天皇に責任はある。
軍の腐敗、機密費、スパイ、天皇・・・他にも色々理由はあるのだろうけど、最大の「戦犯」は官僚組織にあるように思える。
民主主義ではなく役人が好き勝手やる社会だから大日本帝国は「自滅」したんだ。
官僚制度を解体しなければいつかまた国が滅びるよ。
わしズム19号【特集『戦争論』以後】の座談会で大塚英志さんが「憲法9条」と「非武装中立」への憧れを語っていたが、彼はアナーキストであろう。
非武装中立云々は国家解体の為の方便に過ぎない。
トマス・ホッブズの社会契約説によると国家とは国民との契約によって成り立っているとされているが、何らかの「強制力」のない契約など無意味である。
脱税しても捕まらないのであれば誰も税金など払わない。
国家は強制力・実行力の担保となる「暴力装置」があってこそ初めて機能する。
国が非武装化すれば「社会契約」が守られなくなり、無政府状態になるである。
理想主義の皮を被ったアナーキスト達の狙いは、正にそこにある。
大塚英志氏は「非武装中立か、それとも核武装・徴兵制による国民皆兵か」のどちらかしかないと極論しているが、「国民皆兵」になる必要があるのは、むしろ非武装中立の方だ。
国家が軍事力を放棄するなら、代わりに市民が自衛の為に武装する必要がある。
各家庭に武器弾薬・防具を支給し、国民全員に軍事訓練を受けさせなくてはならない。
実際、永世中立国のスイスには徴兵制があり、各家庭に武器が支給されていて国民皆兵と言える状態にある。
しかし日本の場合は国民皆兵となった場合でも、軍隊がなければ国土の防衛は不可能である。
非武装中立論者はスイスを想定しているのだろうが、スイスは「内陸国」で、日本は「島国」だと言う事を忘れてしまっている。
内陸国のスイスならば、なるほど確かに軍隊がなくても市民がゲリラ的に戦えば国土を守れるかもしれない。
しかしゲリラ戦法は陸地でしか通用しないのである。
「本土決戦」で人口の多い本土を守れたとしても、周辺の小さな島を侵略された場合、海軍力がなければ取り返せない。
日本が非武装化すれば中国は尖閣諸島を実効支配し、韓国は対馬を占領するだろう。
海洋国家の日本には海軍がどうしても必要だ。
「非武装中立」は我が国の場合、地政学的に不可能なのである。
クラウゼヴィッツの『戦争論』によると「戦争は外交の延長」である。
政治(外交)の手段として戦争が行われる。外交交渉の段階で既に戦争は始まっているのだ。
外交は戦争の一形態に過ぎない。
外交交渉だけで敵の戦艦を沈めて「戦わずして勝つ」事も出来る。
逆に外交が下手なら全世界を敵に回して孤立し、戦争でも不利になる。
戦争は軍隊だけでやるのではない。戦争を始めるのも終わらすのも「外交交渉」次第なのだ。
外交官が無能だと国防上、大きなリスクを背負う。
日本の外務省は売国奴の巣窟ですから。日本は戦争に戦わずして負けている状態です。
外務省は解体されるべきだ。
日本は国防の一環として戦略的に外交を行える省庁を新たに新設する必要があります。
侵略を成功させるには相手の3倍の兵力が必要だと言われている。
それは裏を返せば自衛が目的なら軍隊の規模は仮想敵国のの三分の一くらいで十分という事だ。
日本を攻撃してきそうな国はどこも核兵器を持っている。日本も核を保有さえしてしまえば、兵力は大幅に削減できる!
日本の軍事費が高いのは人件費が高いせいだ。
人件費をカットして最新の装備の購入に回した方がむしろ自衛隊が強化され、かつ軍事費も削減できてしまうのではないか?
「百年兵を養うは、ただ一日のため」と言う格言もあるが、軍事費には無駄が多すぎる。
世界中が一斉に軍縮に取り組めば貧困を撲滅できます。
日本は世界の国々に軍縮を訴えていくべきなのではないか?
まぁその前に核武装しなきゃならないんだけどな(まさに外道)www
憲法9条と日米安保は切っても切れない関係にある。
言うまでもなく日本国憲法はGHQが日本を非武装化するために押し付けた物だが、当初は日本に"軍事力"を放棄させるのではなく"戦争そのもの”を放棄させる予定だった。
自衛戦争さえ禁止すると言う事は、日本人の生存権を認めず、他国から攻められたら戦わずに死ねと言っているに等しく、反人権的で到底受け入れ難い代物だ。
それを「さすがにこれはマズイだろう」と思ったGHQ内部の人間が勝手に"戦争放棄"の部分を"軍事力の放棄"に書き換えてくれたおかげで、ギリギリ日本国の独立は保たれているのである。
憲法で自衛戦争すら禁止されていたら日本はとっくに消滅していたであろう。
ではなぜGHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーは日本に戦争・軍事力を放棄させようと判断したのか?
それは既にアメリカの”核の傘”で日本が保護されていたからだ。
マッカーサーは大戦を終結させたのが軍隊ではなく核爆弾であった事に大変なショックを受け、核兵器さえあれば通常兵力で守らなくてもソ連は攻めて来ないと考えるようになった。後にその判断を撤回して日本を再武装させるのだが・・・
"憲法9条"に書かれている軍事力の放棄は、"アメリカの核"で守られている事が前提としてあったのです。
日本の平和主義憲法が核兵器と言う究極の大量破壊兵器によって維持されていると言うのは何とも皮肉な話である。
核兵器がなければ日本の平和が守れないとするなら、いつまでもその大事な”核”を他国に、即ちアメリカに頼っていても良いのだろうか?
日米同盟は永遠に続くわけではないし、共和党は戦略的に日本を重要視しているが、米民主党は基本的に反日である。
アメリカで政権交代が起こったら日米関係は急速に悪化し、日本の安全保障にも危機が訪れる。
憲法9条を遵守するには核が絶対必要なのだから、思い切って自前で核武装してしまえば良い。
マッカーサーは元々”アメリカの核”で守る代わりに日本を非武装化し、スイスのような中立国にしようとして憲法9条を制定した。
その原点に帰るならば、日本は核武装して永世中立国になる事を宣言し、国際情勢には一切干渉も貢献もせず、大国同士の覇権争いのゲームから降りて半分鎖国した状態で一国平和主義を貫く、と言うのも一つの選択肢であろう。
もちろん、憲法を改正して核兵器を必要としない「普通の国」を目指すのもありだ。
日本は中国と仲が悪いが、それは日本が弱く、核を持っていないからです。付け入る隙があるから叩かれる。
北朝鮮がどんなに独裁国家でも、核を持っているのでアメリカは絶対に北朝鮮には手を出せない。
西洋には「どうしても敵に回せない奴とは友達になれ」と言うことわざがありますが、核保有国同士が戦争をしたら互いに破滅するだけなので、どんなに狂った独裁者であっても絶対に核保有国とは”戦争をしない”選択を選ぶ。
逆に言えば日本が核をもっていないから紛争の種が生じる。核を持てば、争う訳にはいかず、仲良くするしかないのだから領土問題などでも中国の側から折り合いを付けようと擦り寄ってきますよ。
それに核兵器は通常兵力に比べてとてもリーズナブルだ。
軍事評論家の兵頭二十八氏の試算によれば、一兆円もあれば核武装が可能。
たった一兆円で超大国に対して絶対的かつ恒久的な抑止力を得る事が出来るのです。
核兵器さえあれば通常兵力は半分に減らしても大丈夫なので、核武装する代わりに大規模な軍縮を行い、核の先制不使用と侵略戦争の放棄を宣言しておけば他国の反発も抑えられる筈。
サンジャポでお馴染みのテレンス・リーさんが書いた『戦争病』を読んだ。
傭兵という仕事の生の情報が満載で何かの役に経ちそうだ。
テレンス・リーはサンジャポのイメージでずっとイロモノだと思っていたのに結構ちゃんとした人だったんだな。
この本では欧米の軍産複合体が経済活動の一環として戦争を行っている以上、戦争はなくならないと結論付けている。
やっぱ企業や国が営利目的で戦争を始めるのは良くない。軍隊を民営化したら戦争した方が金になるからドンドン外国に攻め入るようになりそうだ。
現に陸軍の民営化を進めているアメリカはそうなりつつある。
テレンス・リーは軍とコネを作って将来のビッグビジネスに繋げようと考えて傭兵になったと書いているが、本当は人を殺してみたかっただけじゃないか?
元々殺すのが好きでなかったら、仕事とはいえ何百人もの人間を殺したり出来ないだろう。
作者は内なる殺人衝動についても書くべきだったのではないだろうか?