にじ魂>哲学

無知の知と自己の不完全性

世の中には自分を「絶対に正しい」と信じて疑わないタイプの人間がいるが、何もかも100%正しい判断を下す事など、全知全能の神でもなければ不可能だ。
なぜなら、我々は知らないと言う事すら「知らない」だからだ。他に正しい答えがあっても、それを知らないから間違いには気付かず、過ちを犯してしまうのである。
大切なのは、自分が無知であると自覚する事。無知の知である。そうすれば己を盲信して失敗を繰り返さずに済む筈だ。

「私は正しい」という主張は反証が一つでも見つかれば崩れるが、これを「私は間違ってる」に変えると途端に否定するのが難しくなる。
嘘つきのパラドックスと同じで「私は間違っている」と言うのも間違いであると考えれば何もかも100%正しくて無矛盾だからだ。
つまり自分は常に正しいと思うより、間違っているかも知れないと考える方が正しい、

ゲーデルの不完全性定理を引き合いに出すまでもなく、人は不完全な欠落した存在であり、それを補い合う為に他者を必要とする。
自分で自分が正しいかどうかを証明するのは不可能だ。それ故に他人の意見、批判を通じてより正確な答えを模索していくしかない。それこそが批判的合理主義の精神である。

批判的合理主義では「批判の余地がある方が科学的」とされている。批判の余地がない方が完璧であるように思えるが、そうではない。
批判を真摯に受け止めて改良していくのが科学であるから、他人の忠告に聞く耳を持たない奴は非科学的な人間なのだ。
ただし、批判と中傷は分けて考えるべきである。

by 箱男:2005年10月27日 13:20|目次 新着コメント
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コメント(7)

1:てきとう:2006年03月08日 20:27

>人は不完全な欠落した存在であり、それを補い合う為に他者を必要とする。
この件について訊ねたい
他者と交流するという点で不完全な場合、それをどう補ってゆくべきか
私はこの件でいろいろ考えたのだけれどもどうしても循環論法に
陥ってしまって困ってます

2:箱男:2006年03月09日 11:00

全ての人に欠落した部分があるとして、互いに足りない部分を埋め合わせてもやっぱり完璧にはなりえないと思うんですよね。
他人を完全に理解する事は不可能ですから、他人との交流が不完全な結果に終わるのは当然と言えマス。

3:匿名さん:2006年07月18日 21:30

人類補完計画?

4:良く見れば:2006年09月12日 05:20

「自分が絶対に正しい」と信じる人間が増えて来たのは、信じる物が社会になくなってきた裏返しだろう。よく見れば、自分の目で見て、ん自分の頭で判断する人間が増えてきたということでしょう。行過ぎなければ、好いんじゃないですか。少しは自己主張の出来る人間が増えて。

5:匿名さん:2007年02月16日 13:44

 管理人の主張に基づくと、「自分が間違っているかもしれない」ということが間違っているかもしれないと考えなきゃいかんわな。
 だって、絶対正しいと判別することは不可能なんだもん。
 そうすると、「絶対正しい」という意見も正しいかもしれないと考える余地が出てくるのだけれど、それを前提とした主張なんだろうか?

6:ザッサー:2007年11月29日 14:24

唯一絶対は主観が絶対であるという事。それ以外はどっちかわかんない

7:匿名さん:2008年03月10日 17:05

平等が この世に存在しないのと同様 絶対もない。
この世の中はすべて不完全。
それが 事実です

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